理事長挨拶

真人会理事長  原 真隆

真人会理事長  原 真隆

生かされて生きる

真人会も長い年月を重ねて参りました。六十五年を過ぎた今 新たな挑戦を致さんがためにと、この度から真人誌を一新致し発行をする事となりました。若年層にも読んで戴ける様にするためで有ります。ご理解のほど 宜しくお願いを致します。

今日の社会の荒廃を何と理解すれば良いのでしょうか?
親が子供を殺す 子供が親を殺す。当に生き地獄です。その現実を驚かない この時代が怖い。又情けない事件が起きたで済ませる 当たり前に成っている事が悲しいのです。

親鸞聖人は『一念多念文意』に人間の本性煩悩について「凡夫」というは 無明煩悩我らが身にみちみちて、欲も多く
いかり、はらだち、そねみ、ねたむ心多くひまなくして、臨終の一念にいたるまで とどまらず、きえず,たえずと、水火二河のたとえにあらはれたり。
かかる浅ましき我ら、願力の白道を一分二分やうやうづつ歩み行けば、無碍光仏の光の御心に納め取りたもうが故に必ず安楽浄土へ至れば弥陀如来と同じく
かの正覚の華に化生して大般涅槃の悟りをひらかしむるを旨とせしむと成り。
・・・と仰せで有ります。

無明とは 暗い愚かな心 煩悩は 煩い悩む邪悪な心です。
我らの心の中は 貪欲 憎悪 嫉み 妬みの愛憎の心なのです。臨終のその時までこの愛憎が違順して 留まることなく 消えることなく死ぬまで無くならない 煩悩具足の我が身と云う事です。
願力の白道を一年二年とふらふらとした求道聞法のあゆみでしかないとお解きに成って居られます。

しかしその私共を「無碍光仏の光の御心に納め取られて」真に帰すべき安楽の浄土へ生まれしめられるのであります。
その時に微かでは有り又ほのかでは有りますが 人間に生まれた生きがいと同時に 死にがいを感じさせていただくのであります。

生きがいある人生を今一度考えてください。この世に生を受け生かされる 我が身です。
欲深い 罪深い自分に目覚めてください。煩悩具足の凡夫の我が身が心がけるのは慈悲の心を持つという事です。我欲を捨てて衆生を愛しむ事です。慈悲の心とは他人を愛するという事です。我欲を捨てて他人を思いやる 優しい心という事です。必ず無常の風と共に還る処に還って逝くこの身です。
喩えて言うなれば 人生は一本の蝋燭と思ってください。
その蝋燭が我が命です。灯る光がどれだけ衆生の暗闇を照らすか、悩める人に対して光明と成りうるか?
蝋燭が燃え尽きるときその人の生きがい又死にがいがわかるのではないでしょうか?

己のために生きるのではなく 自分を捨てて人様のために成る生き方が 菩薩業ではないでしょうか?

お釈迦様のお言葉に

自己こそ自己の主なれ ほかに主は余もあらじ
自己を整えおさめてぞ 人は得がたき 主を得
汝よ自ら灯をともせ  とく励めかし 賢者たれ
穢れをはらい 罪なくば ふたたび老死に 近かじ

この言葉は夏の青少年修道研修会で教えている言葉でもあります。自分を見つめ 悔いなき人生を送って頂きたい一念で有ります。
南無阿弥陀仏     合掌

三つ子の魂百までの心と共に、生かされる

幼児期の後半、三歳から五歳は、両親と自分を同一視します。生きる依りどころとして、両親と自分を同一視致します。同一性と訳されていますが、たんに同じという意味では済まされません。
この時期は子供が両親に帰依している時期であります。この時期の子供は両親を心の拠り所として生きています。まさに両親は仏様の様な存在です。
自分では何もできないその身を両親に委ねています。阿弥陀様に生かされている、他力の世界に生きているのです。両親を目で見、耳で聞き、心の成長をいたします。これは、誰もそうしろと言ったわけではなく、自然の摂理としか言いようがありません。亀井勝一郎は「模倣は独創の始まりである」と言っておられます。模倣から育てられ成人になるのです。
幼児期から成人期に入るとき自己の目覚めその時期に反抗期があります。自分流の考えが、両親の姿と異なる時がそれです。
自分は自分であって本当に良かったと言いきれる人間となりたいという欲求を自己同一性と訳されていますが、釈尊はこれを自灯明と申されました。自らを灯明とする、自分は自分でよかったと、現実の自分を受け入れ、自らに目覚める、自覚であります。自覚と共に自省(内省)が大切になります。自己を見つめる心が大切な処であります。 内省の心が己を戒め 自分を自己自制を促します。

月洲先生が六歳の時 母君が亡くなられました。 「心の眼の開けた人になるように」の遺言を残され。

この一言が、幼き月洲少年の人生を示唆されたのですね。母君を阿弥陀様の化身の様に思われたのかもしれません。母君に帰依された人生でした。常に私達に「心の眼の開けた人間になるように」とお話を聞かせていただきました。
合掌

平成28年 新年の挨拶 「この親にして この子あり」

新年おめでとうございます。恙なく新年を迎えられたことは無上の歓びと存じます。本年もよろしくお願い致します。七十二歳を迎える年となり あまねく 大いなるお陰を感じるものであります。

わが師 岩本月洲先生は 時有るごとに 源信僧都の『横川法語』をかみ砕いてお聞かせくださいました。
『それ一切衆生 三悪道をのがれて 人間に生まるること大きなるよろこびなり。・・…以下略』
その源信僧都のお母さんは 大変に立派な方でありました。僧都は「名利」の二文字を自室の壁に貼って 常に拝まれていたそうです。ある人がその理由を聞きますと 源信僧都は これは『母上の教訓』であるとのこと。
九歳で叡山に上り修行をされました。あるとき十五歳で 天子様の前で講義をされました。大変に立派な講義であると褒められ 位も上がり 褒美の品に絹を頂きました。大変嬉しくて 故郷の母に喜んで戴こうと その旨手紙に書いて絹とともに送られたそうです。それを受け取られた僧都の母も心中はさぞかし嬉しかったと推察できます。

しかし賢明であられます母上は ここで慢心させてはならないと厳しく戒める手紙を送られたのであります。

「そなたを 出家させたのは 悟りの道に進み この母を 斉度する様な善智識に成ることを望んだからです。
それなのに位が上がり、褒美の品を頂いたと、いうのは
単なる世渡りの道と変りが有りません。 世渡り上手の
勉強を叡山でする必要はありません。帰ってきなさい」。

後の世を 渡す橋ぞと おもいしに

世わたる僧に なるぞかなしき

この歌を添えて 「名声をあげ 位をあげるような 名利
を望む愚かな心を」厳しく戒められたのであります。

この母の教訓があったればこそ 七高僧の中のおひとりになられたと言っても 過言ではありません。
まさに 「この親にしてこの子あり」であります。
今年も 多くのお陰に感謝しつつ お聞かせに与りたいと存じます。皆様どうぞよろしくお願い申し上げます。
南無阿弥陀仏

平成27年 新年明けましておめでとうございます。

皆様方におかれましては、良き新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。 小生 昨年、古希を迎えました。青少年の修道研修会の二日前に急性心筋梗塞にて倒れ。緊急手術で一命を取り留めましたが、 我が人生これで終わるのかな?と脳裏を掠めつつ「このままではいけない、己の人生に悔いが残る」と強く感じ、退院三カ月後に西本願寺にて得度を受けました。 僧籍を頂きましたが、それで人間が変わる訳ではありません。 厳しく己を戒め、少しでも僧侶として恥ずかしくない人になる覚悟です。
岩本先生の御心に恥じないように頑張らねばと思います。 常に居ますを 佛という
此処に居ますを 佛という
共に居ますを 佛という
この佛を南無阿弥陀仏という
このいわれを聞いて歓ぶを 信心といふ
称えて喜ぶを念仏という      月洲 

この先生の御言葉を深く肝に銘じ、僧侶としての生き方を歩んで参りたく存じます。『南無阿弥陀仏のいわれを聴いて 歓ぶを信心といふ』とあります。その信心を頂くことが大変なことであります。

先生の法話にて、『聞法以外に有りませんよ。何時でも 何方のお取次ぎでも聴く事ですよ』と話されたのが最後のお言葉でした。
高齢化が進み少子化が進む現在に、乱れ狂った事件が多く起きている現実は看過できません。母親が子供を簡単に殺す事件が多発しています。
哀れなるかなです。その子は、母の愛を感じることなく、親の慈愛を歓ぶことなく人生を終わったのです。鬼の様な親が何故かくも多く事件を起こすのでしょうか。

その昔我が日本にも、老母を山奥に捨てる(姥捨て山)又、産まれたばかりの我が子を殺す(まびき)という風習がありました。これは全て貧しきが故のことであり、仏ごころはありながら、泣き泣き為されたのであります。現在の狂った世情とは全く違います。昔は貧困、餓死が多発していた時代です。
止むに止まれず口減らしをせざるを得なかったのです。現代は餓死するような時代ではなく、親の快楽の為としか考えられません。人生苦成りですが、苦労の向こうに幸福が有るのですから、苦を知らない人には幸福が分からないのです。
心の教育が為されていない今こそ真人会の精神を広める時と考え、心の眼の開けた人への教育に精進いたす時と考えます。
世直しの一助となれば幸いと思い、会員一丸となり頑張ってまいります。皆様方のご理解とご尽力を 伏してお願い申し上げます。

今年一年 どうぞよろしくお願い申し上げます。
合掌